ある精が一人の子どもに糸毱を与えて言った。
「これはおまえの人生の糸だ。
糸に触らなければ、時間はふつうに過ぎていく。でも、もしも、もっと時間が早く過ぎてほしいなら、この糸を少しだけ引っ張ればいい。
そうすれば、一時間が一秒のように過ぎ去ってしまう。
だけど注意しておくよ。一度引っ張った糸は、決してもとには戻せないからね。引っ張った糸は煙のように消えてしまうのさ」。
こどもは糸を手に取った。
まず、大人に早くなるために、こどもは糸を引いた。
それから愛する婚約者と早くけっこんするために、
それから子供たちが大きくなるのを早く見るために、
心配ごとや苦しみから、はやく逃れるために、
年齢とともにやってきた病気や悲しみを早く避けるために、糸を引いた。
そして、悲しいかな、最後に厄介な老年にとどめを刺すために、糸を引っ張った。
その結果、子どもは精から糸毬を受け取って以来、四ヶ月と六日しか生きていなかった。
人生の短さについて
私たちはともすると「一日の終わり」や「次の週末」を待ち望んで生活していることがある。そういう、未来を待ち望む気持ちは「現在からその時までの時間」を〝早送り〟することであり、それは自分の寿命を短くしていることと同じである。私たちに残された時間(=余命)は決して増えることはなくて、減っていく一方なのに──。
たとえば、月曜日の朝に「ああ、一週間が始まる。土曜日まであと五日もある。早く過ぎてほしい」と願ったりする。そう思って生活すると、月曜日から金曜日までは「人生の空白期」になって、その分だけ人生が短くなってしまう。
コメント